『特別』
特別なものなんて望まない。
欲しくもない。
俺こそが特別な存在。
だから他は要らない。
そう思っていた。
…思うようにしていた。
コイツと出会うまで。
最初はただ、秀でたテニスの腕と、こちらでは珍しい名前と関西弁が目にとまっただけだった。
「忍足侑士」
部長になった以上、部員の名前は覚えていた。
そう、理由はそれだけ。
それだけの存在だったんだ。
あの日までは。
「なぁ、跡部…?やったよな?自分、俺と試合せーへん?」
「…あぁ。いいぜ。但し部活後にな。練習終わったら部室で待ってろ」
練習中、声を掛けられ、アイツの腕を試す気で引き受けた。
部活終了後、学校のテニスコート。
セルフジャッジで始めた試合。
忍足は思った通り強い、いや、巧かった。
それに、何よりも、楽しかった。
単に打つことが、コイツとのラリーが。
ずっと続けばいいと思う程に。
「完敗や。さすがに強いなぁ。部長さんは」
「ふん。当然だろ?お前もいい腕してんじゃねーか。久々に楽しい試合だったぜ?」
そう言うと、何故か忍足は驚いた顔をした。
「なんや、跡部もなん?負けといてなんやけど、俺も今の試合、久々に楽しかったんよ。…ずっと打ってたいくらいな」
今度は、俺が驚く番だった。
それは俺も感じていた事。
でも、何故なのかが分からない…
確かに忍足は強い、が、一瞬でも気を抜けば負かされるようなスリル感は無い。
何故、俺はこの試合が楽しかった…?
あの日から、気付けば俺は忍足を見ていた。
忍足が、試合をしていなくても。
動作の一つ一つまでが気になった。
何なんだ?
アイツの何が気になるっていうんだ?
何故、見てるだけで心が騒ぐ?
こんな気持ちは知らない。
…知りたくない!
この気持ちはきっと俺の勘違い。
違う、恋なんかじゃない。
恋なんかじゃ…
もう、特別な存在は要らない。
そんなもの、いくら望んでも、手には入らない。
ならいっそ、望まない。
『特別』な何かを欲しがるような、子供じみた弱い心は捨てる。
そうして、強くあろうと決めたのに。
「ねぇ、なんでおかあさまは、いつもおウチにいないの?」
「景吾坊っちゃまの為に、働いていらっしゃるのですよ」
「景吾坊っちゃま、お父様から誕生日プレゼントが届いておりますよ」
「おとうさまは?」
「お仕事が忙しく、今日はどうしても帰れないと…」
幼い頃の記憶。
またあの思いを繰り返すのだろうか?
『サビシイ。カナシイ。ヒトリニシナイデ』
違うっ!
俺はこんなこと、思ったりしない。
…俺らしくもねぇ。
最近の俺はどうかしている。
「…って、跡部!さっきからずっと呼んどるのに全然聞いてへんやろ」
「アーン?うるせぇ。考え中だ、黙ってろ」
「そないなこと言ったかて、そろそろココ(部室)出なあかんやろ」
いつの間にか、部室には俺とコイツ以外はいなく、窓から見える外は濃紺。
いったい何時間俺は考えてたんだ?
だが、それよりも…
「何でお前がいんだよ?向日と帰ったんじゃなかったのか?」
さっき、向日がスポーツ用品店に付き合えと、コイツに言ってたような気がする。
「あぁ、聞いてたんか。岳人には用があるゆーて、先に帰ってもろたんよ」
「あぁん?だったら尚更何でお前がいんだよ?」
俺がそう言うと、目の前のコイツは失礼にも
はぁ…
と、ため息つきやがった。
「鈍いなぁ、自分。用があるゆーて、俺が帰らんでここにいる時点で、跡部に対して用があるて気付くやろ?普通ι」
んだと、こいつ!
「黙って聞いてりゃさっきから…」
「まぁ、最後まで聞き。自分、最近俺のこと見てたやろ」
?!
コイツ気付いてやがったのか?!
「べ、つに、テメェなんか見てねぇよ。」
「嘘つかんでもえぇよ。知っとるし。俺も、最初はなぁ、気の所為やと思ってたんよ。跡部が誰かに執着するなんて思いもよらんし、跡部の興味起こさせるようなことした覚えもないしな。でも、間違いやないて気付いた。何でかわかるか?」
「…いや」
そう問うてきた忍足の表情は真剣で、いつの間にか、俺も真剣に話を聞いていた。
「最近、よう俺と目が合うと思わん?」
…目が合うと、不自然にならない程度に直ぐ逸らしてはいた。
だが最近その回数も増え、さすがにヤバイと思った俺は気を付けていたはずだった。
なのに、
「あれな、跡部が俺のこと見てたんもあるやろーけど、俺もやねん。俺も、跡部のこと、見とったんや。だから、よう目が合ったんよ」
「なん、で…」
「何で…かぁ。俺も前まで疑問やってん。何でそないに跡部のこと気になるんか。でも、やっとわかったんや」
そう言うと、忍足は一旦言葉を切り、じっと俺を見据えた。
そしてまた、視線は逸らさず俺を見たまま、口を開く。
「やっと、解かったんよ。何で、跡部が気になるんか、見てるだけで嬉しくなったりイライラしたりするんか。それは、俺が、お前の、跡部のことをす…」
「言うな!それ以上喋んな!聞きたくねんだんよ、そんなこと!」
言葉を遮って叫んだ俺に、忍足は驚き、やがて傷ついた顔になる。
「そら、そやな。同じ男からこんなん言われたかて、嬉しないわなぁ。…悪かった、今のは忘れてくれへんか?」
違う、お前が悪いわけじゃない、傷付けたいわけじゃない…
「違う、そうじゃない、俺だって同じ…」
そこまで言い掛けて、はっと気付いた。
俺は今、なんて言おうとした?!
やめろ!
望むんじゃない!
期待すんな!
どうせ、無駄なんだ。
コイツだって、すぐ現実に目が覚める。
気の迷いかもしれないような、こんな不確かな思いから。
そうすればまた、俺は一人…
「あと、べ…?どないしたん?それに、今なんて…?」
「なんでもねぇ。今のは…忘れろ」
そうだ。
これでいい。
初めから何も無ければ、失うものなんて無い。
他人の暖かさを知らなければ、一人の寒さに凍えることはない。
だから、いらない、特別な存在なんて。
そんなもの、つくらない。
「そんなん無理や」
「あ?」
「そんな寂しそうな顔で、忘れろ、言われてもなぁ。抱き締めたく…なるやん?」
ふっと、言葉と同時に温もりに包まれた。
嬉しさと同時に、湧いてくる恐れ。
こんなことをされたら、己の弱さに気付いてしまう。
強がって、見せていた虚像を現実のものにしたくて、必死に足掻いてる自分の姿に…
見たくなんかない、気付きたくなんかないのに。
「おい、放せよ!腕ほどけ!」
「無駄や。跡部、本気で嫌がってへんやろ。本当に嫌やったら、同じ男の力なんやから振りほどいて逃げればええ。なのに、それをせぇへんのは、そういうことなんやろ?」
なんでコイツは俺のことがそんなに解かるんだろう?
段々と寂しい心に染み入る忍足の体温に、全てこのまま委ねてしまいたい気分になる。
俺が抱える恐怖ですら、コイツなら…
と、思えてしまう。
俺の僅かな抵抗も消えた頃、また話し出す忍足。
「なぁ、跡部。俺は、昔自分に何があったかなんて知らんけど、何にも頼らず、ずっと一人で居るのは辛ないか?
跡部は強いし、一人で大丈夫だと、周りも、お前自身ですら思っとる。でも、それはほんまなんか?一人が平気な人間なんて、そう居るもんやない。それに、居ったらそれは、随分悲しいことや」
抱き締めていた腕を緩め、俺の目を見ながら話す忍足。その表情は、どこか優しい。
「跡部は違うやろ?一人が平気なように見せてるだけや。ちゃんと一人の寂しさを知っとって、人の温かみも知っとる。失う時が怖くて、孤独を選んだふりをしてただけなんやろ?
でもな、それは強さやない。…傷つく痛みから逃げてるだけや。本当は自分でも解かっとんのやろ?’今’が、認めて素直になる時なんと違うんか?
俺が、受けとめたる。ずっと、側に居るよ。…跡部?」
嬉しかった…
弱さを含めた『俺』を認められた気がした。
忍足の言った言葉は俺の頑なに閉じ込めてきたモノの殻をいとも簡単に壊していく。
気付けば俺は、泣いていた。
声だけは出すまいと必死に嗚咽を噛み殺して。
そして、ゆっくり腕をまわし、抱きつくようにして泣く俺を、忍足はずっと、何も言わずに優しく、強く抱いていた。
「…も」
「え?なんや?」
「俺も、お前が好き、だ」
泣いたことや、初めて本心を晒した恥ずかしさから、まともに顔を見られない俺に、忍足は微笑んで、
「好きや、跡部。最初は、その強い眼差しが好きやった。でも、その中の孤独の影に気付いてから、なんとか消せへんか、消えたらどんな綺麗な瞳になるんか、見たかった。…今の跡部、綺麗やで、誰よりも。
ずっと、俺が傍に居る。コレは、特別な誓いや」
なんでこんなに、俺の喜ぶ言葉ばかりをコイツはくれるんだろう。
言わなければ。
伝えなければ、この気持ちを。
まだ素直にはなれないし、全部伝えられる自信はないけれど、俺なりの言葉で精一杯の感謝と…
「その誓い、必ず守れよ?」
「あぁ。守るよ。約束やない、跡部にたてた俺の誓いやからな」
「忍足…ぁりがと、な。俺も、お前が……好き、だか、ら」
俺の気持ちはどれだけ伝わったのだろう?
その程は解からなかったが、嬉しそうに微笑んだ忍足を見て、言って良かったと、思った。
そして言葉にして伝える大切さを改めて感じた。
これからは、少しづつ、素直になろう、コイツには。
手に入れた『特別』、失わないように。
―終わり―
跡部の背負うものについては、
前々から書きたい気持ちがありまして。
特に、バンプの「Title of mine」は、
私の中の跡部像…というか、このssの
イメージに凄く近くて、製作中はずっと
コレ聴いてましたね。
モドル